焼却炉から考える放射性廃棄物処理問題の未来

放射性廃棄物の処理は最終処分場や中間貯蔵施設、管理型処分場の建設地問題で大きな進展が見られない。現実的な手法はないか検討しています。

放射性廃棄物の実態とは

具体的に放射性廃棄物質がこれまで、どのように定義され、どのようなプロセスを経て処理されてきたのか、大枠を理解しておきたい。

 

 

一般的に放射性廃棄物とは、電気事業連合会http://www.fepc.or.jp/nuclear/haikibutsu/ )によると“原子力発電所の運転などにともない発生する放射能レベルの低い「低レベル放射性廃棄物」と、使用済燃料の再処理にともない再利用できないものとして残る放射能レベルが高い「高レベル放射性廃棄物」”があるとされる。

 

 

低レベルの放射性廃棄物の具体的な定義は“原子力発電所の運転にともなって発生する液体廃棄物、雑固体廃棄物(布・紙)など”を指し、その後“凝縮・焼却により容積を減らしたあと( 減容化を行った後に )、セメントなどで固めドラム缶に固定する処理( 固形化 )”をするとされている。

また、“固定された低レベル放射性廃棄物は、発電所など施設の敷地内貯蔵庫に安全に保管した後、青森県六ヶ所村にある低レベル放射性廃棄物埋設センターで埋設処分”されるそうだ。

 

 

一方で高レベルの放射性廃棄物とは“使用済燃料を再処理し再び使えるウランプルトニウムを回収”した際に生じる“放射能レベルの高い廃液”のことを指し、こちらは“濃縮して容積を減らしガラスと混ぜ合わせ、ステンレス製の容器に固化( 固形化 )”を行い、”専用の貯蔵庫に30〜50年程度、冷却のため管理・保管”を青森県六ケ所村に「一時保存」している。また、“最終的には人間環境と隔離するため地下深い地層の中に埋設処分”するといった「地層処分」の方法が計画されているが、どこに処分するのかは決まっていない。

 

 

上記が一般的に原子力を用いる際に排出される放射性廃棄物に関する区分だ。

こうした区分とは別に福島第一原子力発電所の事故を受けて発生した放射性廃棄物環境省によると( http://shiteihaiki.env.go.jp/faq/ )「指定廃棄物」と呼ばれる。

指定廃棄物とは“1キログラム当たり8,000ベクレルから10万ベクレル程度”のものを指すとし、おまけに“原子力施設で発生する廃棄物の放射能濃度と比べて、はるかに小さいものです。”との表現が付け加えられている。

 

 

また、通常の原子力施設で発生する放射性廃棄物との比較では、“浅い地中にコンクリート構造の施設で処理する場合、放射性セシウムで1キログラム当たり約1,000億ベクレルまで処理が可能とされており、この上限値と指定廃棄物(8,000ベクレル~10万ベクレル程度)を比較すると約100万分の1となります。”と表現が注釈でされている。

 

通常の原子力施設で排出される最大1,000億ベクレル放射性廃棄物と指定廃棄物の放射線量を比べられても安全性の是非を推し量ることはできないので、この議論は別の機会に譲るとして、国は「指定廃棄物」の範囲を8,000~10万ベクレル程度として定めている。

ここで気になるのが、8,000ベクレル以下の廃棄物と10万ベクレル超の廃棄物についてだ。

 

まず、環境省の他のページから基準を調べると8,000ベクレル以下の廃棄物に関して、「通常の廃棄物」として区分されている。

http://shiteihaiki.env.go.jp/radiological_contaminated_waste/designated_waste/

 

また、よく調べると、“8,000Bq/kgの焼却灰を処理する場合に、周辺住民よりも被ばくしやすい作業者であっても、その被ばく線量は原子力安全委員会の目安である1mSv/年を下回ることが計算により確認されている基準です。(0.78mSv/年)”という文章が見つかった。

 

これまでの認識だと、たとえば瓦礫や草木類そのものが8,000ベクレル以下のものを「通常廃棄物」であったが、上記の文言を文面通り受け止めると“8,000Bq/Kgの焼却灰”とある。

 

つまり、焼却( 減容化 )した後の1Kgあたりの放射線量によって「指定廃棄物」かそれ以下の「通常の廃棄物」かが区分されていたのである。

 

その他法律関連を調べてみても、8,000ベクレルを超える「指定廃棄物」と8,000ベクレル以下の「通常の廃棄物」の間にはその後の保管方法等、大きな待遇の隔たりがある。

 

 

また同様に10万ベクレルを超える指定廃棄物と10万ベクレル未満の指定廃棄物でもその保管方法に大きな違いが存在する。

8,000~10万ベクレル未満の指定廃棄物は「管理型処分場」と呼ばれる、通常の生活ごみ等が捨てられる施設に廃棄することが可能とされている。

一方で、10万ベクレルを超える指定廃棄物は「遮断型処分場」と呼ばれる、特別な施設での長期間の管理が必要となる。

 

 

もちろんのことながら、施設の数は、

 

① 通常のごみ処理場(8,000ベクレル未満)

② 管理型処分場(8,000~10万ベクレル未満)

③ 遮断型処分場(10万ベクレル超)

 

上記の順となるが、今後一層指定廃棄物の処理を進めていき、街中のごみを廃棄していくためには、ごみを処理するための中間貯蔵施設や最終処分場の場所の確保が必要となる。

 

 

しかし、千葉市の事例のように最終処分場はそう簡単には建設ができるものではない。

 

 

そのため、今後は如何に高濃度の指定廃棄物のごみの量を減らしていくかが課題となる。

 

 

ごみの量を減らすためには減容化を行う必要があるが、減容化に伴い廃棄物の放射能が濃縮され、高濃度(10万ベクレル超)の指定廃棄物に変容する可能性もある。

つまり、廃棄物の総量の削減( 減容化 )とともにその手法( 焼却方法 )に関しても気にする必要がある。

 

原子力発電所の再開の有無ではなく、今後の福島をどうするかを考えよ

2011年3月11日14時46分、ちょうど都内の会社の中にいたので、何が起こっているのか正直わからなかった。ただ、揺れたことは事実だった。すぐに第一報がモニターに映し出され、震源地は理解した。しかし、これほどまでに日本全体が大きな岐路に立たされるとはその時には思いもよらなかった。

 

 

 

電車が動いていなかったために、甲州街道をひたすら歩き6時間かけて自宅についたのは、朝の7時。

 

 

 

この文章を書いている今でこそ、「福島の再生」や「復興」といった形骸化したコピーが踊っているが、当時の福島の現地にいた人たちのことを考えると想像を絶した事態が起こっていたに違いない。

 

 

震災発生後の福島第一原子力発電所の事故の経緯や、震災の実態については、多くのマスコミやメディアがこれまでにも報じてきたのでペンを譲るとして、ここでは多くのマスメディアが論じていない、復興の現実に情報を集め、持論を展開したい。

もともと社会系の話は裏どりがややこしく、ねちねちとした点があったためあまり得意ではなかった。しかし、家族の将来のことを考えると、今後日本はどのように過去に起きたこの事態を解決していくべきなのか検討し、最適な解を導き出すことが必要ではないかと考えた。

 

 

実際に多くの亡くなられた方々、そしてその家族、親族、恋人を亡くされた方々。この人たちが経験したつらい過去は、私ごときが軽々しく哀悼の意を表することもできないほど、悲惨な体験だったに違いない。

 

 

確かに、過去に対して何故こうした悲惨な事故が起きたのかを反省し、二度と同様のことが起こらないように知恵を絞る必要がある。

また、今後の国家としてのエネルギー政策を議論し、原子力発電所の再稼働を推進する動きや、それに反対する抗議活動等の互いの意見を主張することも必要である。

被災地の方たちの支援活動に関して十分、不十分の意見が飛び交うことも、東日本大震災を風化させないためには重要な声だといえる。

 

 

しかし、あえて言葉にすると、過去は戻らないし、返ってこない。

 

 

危機管理対応の振り返りや、原子力発電の今後や、被災者の支援活動に関する内容は非常に関心が高い内容だが、実は非常に限られた一側面でしかないのではないか。

企業不祥事であれば、最近になって日弁連東証の勧めで第三者委員会がよく設置されるようになったが、事案に関する(形式的に)客観的な評価が行われ、事実が公表される。

 

そして、関係者の処分が行われ、社長(会長)が責任を取り、その事態で被害にあった各ステークホルダーへの賠償に関して話し合いが行われる。
そして数日後には、あたかも膿を出しきったかのように、すぐに「市場からの信頼を一日でも早く回復したい」と神妙な面持ちの新しい経営陣が記者の前に並ぶ。

これまでは実際多くのケースで本質的な課題が解決されないまま、首の差し替えを行っているのが実態だ。

 

見えにくい真実、この本質的な課題は何であるのかは追及されない。

 

 

 

私は、4年を経た東日本大震災に関しても、こうした企業不祥事の評価やその後の対応と同様の事態が起きているのではないかと危惧する。

 

というのも、多くのメディアで論点が「過去の責任者への追及」「今後の在り方」「賠償の在り方」とお決まりの内容が並ぶ。

 

果たして、いま議論すべきはこうしたことなのであろうか。

 

 

 

いや、違う。

 

 

真に議論すべきは、東日本大震災が発生し、福島第一原子力発電所で事故が起き、大量の放射性物質が大気中に拡散され、地域によってはいまだに高濃度の放射能が大気中に存在し、また、飛散した放射性物質が付着する土や建物や、廃棄物がこれまで居住していた地域や実際に共住している家の軒先に存在する。

 

 

これらの事実に対して、今後我々はどのように向き合い、再び福島に人が住める状態にするにはどのような手法があるのかといった、今後の対応に関してより具体的に検討することではないか。

 

 

つい最近、千葉市に指定廃棄物処分場( 放射性廃棄物最終処分場 )を建設する案が持ち上がっていることに対して、地元住民が建設の反対活動を行っている記事を目にした。

 

 

気になって主張を追ってみると、こうした反対運動が反原発運動と結びつけられ、語られている。

 

 

東電が起こした事態なのだから東電が責任をとれ」や「自分たちの自治体から出た廃棄物ではなく、他の自治体からの廃棄物まで何故自分たちが負担しなければいけないのか」といった声が上がっている。

 

 

また、こうした事態に陥ることがあるので、原子力発電所の再稼働の反対や、同様の事態に陥る可能性を排除するために、原子力発電所の海外への輸出の反対へと議論が飛躍しているように見受けられる。

 

 

しかし、原子力発電所の再稼働を阻止しても、原子力発電所の輸出を差し止めても、今ある廃棄物が一切いなくなるわけではない。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17HC3_X10C15A4CR8000/

 

 

では今後どのようにこうした事態に対応していくべきなのか。

 

 

また、その対応策に現実的な手段はあるのか。

 

 

2020年には東京でオリンピックが開催される。

オリンピックの開催までに我が国は2011年の震災、原発事故とどのように向き合い、解決へと向かっていけるのか。

 

 

過去を振り返るのはその他大勢に譲るとして、独自に情報収集を行い自分なりの考えをまとめていきたい。